優れた人を、悪い仕組みの中に置いてみてください。何が起きるかを見てください。
個人のパフォーマンスという考え方は、否定しにくいものに見えます。経験が豊富な人もいれば、学ぶのが速い人もいます。目覚ましい仕事をする人もいます。だから、優秀な人を見極め、努力を認め、貢献に報いたいと考えるのは自然なことです。
ここまでは、驚くことは何もありません。問題は、観察された結果がそれを生み出した本人だけのものだと考え始めたときに起こります。
二人のエンジニア、二つの仕組み
同じくらいの力量を持つ二人のエンジニアを考えてみましょう。一人目は、明確な目標、安定した環境、必要な情報、そして依存関係が生じたときに相談できる同僚とともに働いています。二人目は、週の一部を決定待ちに費やしています。ツールはうまく動きません。複数の人から矛盾した優先順位を渡されます。重要な変更は、出席していなかった会議で決まったために、遅れて伝わってきます。
月末には、おそらく一人目の方が多くの成果を出しているでしょう。それは、一人目の方が優秀だということでしょうか。
そうかもしれません。しかし、観察された結果からそれを知ることはできません。
私たちが個人のパフォーマンスと呼ぶものの大部分は、その人を置いた環境が生み出した結果なのです。
これはW・エドワーズ・デミングの研究の根本にある考え方です。仕組みが人を替えても同じ問題を生み出し続けるなら、さらに優れた人を探しても問題は解決しません。仕組みに手を入れる必要があります。
数字は比較を救わない
環境が大きく左右した結果を本人に帰属させると、誤った決定にとてもつながりやすくなります。
組織の弱さを補える例外的な人材を探し始めます。危機を防いでいる人ではなく、危機をたびたび救う人を称えます。制約も、プロジェクトも、依存関係も異なる社員同士を比較します。
そして比較をより客観的にしようと、指標を加えます。完了したチケットの数。書いたコードの量。ベロシティ。応答時間。売上高。目標達成率。
数字は正確さの印象を与えます。しかし、最初の問題は解決していません。数字が測っているのは相変わらず、個人の力量、文脈、偶然、仕組みの質、他者との協力が組み合わさった結果です。
さらに悪いことに、キャリアが数字に依存した瞬間から、数字は本来測るはずだったものを表さなくなっていきます。不誠実さの問題ではありません。仕組みの通常の帰結です。
チケットを多く閉じるほど評価が上がるなら、一つの課題を複数のチケットに分けるのは合理的です。賞与が個人目標に連動しているなら、他のチームを二週間助けることは経済的に不合理になり得ます。危機を解決する人になることが目立つ道なら、危機を静かに防ぐことはキャリアにとって旨味の少ない仕事になり得ます。
変えるのは仕組みであって、人の美徳ではない
私たちは、こうしたインセンティブを設置しておきながら、それを無視できるだけの美徳を人に求めるつもりはありません。仕組みの方を変えることを選びます。
企業としての私たちの責任は、評価より先に来ます。まず、力のある人がきちんと働ける環境を作ります。その上で初めて、その人が何を習熟し、何を伝え、何を持続するものにできるようになったかを見ます。
これは、あらゆる貢献を同等とみなすという意味ではまったくありません。私たちはCercleで働く人に多くを期待しています。
力量は重要です。判断力も重要です。仕事の質も重要です。約束を守ることも重要です。守れなくなった約束を守れないと言えることも、同じく重要です。学ぶこと、伝えること、文書に残すこと、他の人の自律を高めることも重要です。
私たちが拒むのは、単純な指標一つでそこから個人の価値の客観的な尺度を取り出せるという建前です。
パフォーマンスのもう一つの定義
この区別は、仕事との関係を根本から変えます。目標は、たくさん働いていることを示し続けることではなくなります。仕事が有用で堅牢な何かを生み出すようにすることです。
私たちは、欠陥のある仕組みを生き延びられるヒーローを探しているのではありません。ヒーローを必要としない仕組みを作ろうとしているのです。